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複眼的に客観的に考えると

困り感という言葉を、初めて耳にしたのは数年前。問題と表現すると無機質な響きで、文脈によってはネガティブになるけれど、困り感と表現すると、困っているのだと、シンプルです。

当たり前といえば当たり前だけれど、子どもたちが学校に行けなくなった時、あるいは行きたくない時には、彼等が何か困っていることや、日常生活の中や、学校で生きにくいことが、きっとあるのではなるのではないか。そう思います。大抵の場合、子どももどうして行けないか、自分でもよくわからないし、年齢が若ければ若いほど、その困り感を言葉で表現するのが難しいだろうから、心身の状態が不調になったりして、体が表現して、それで親がこれは大変、と気付いたり。うちの場合がそうでした。

困り感の原因は多様で、深刻な例ではいじめの例などもあるので、周囲の大人は、あらゆる可能性を考えて、子どもの様子をよくみることが求められるのですよね。参考までに、江別のもぐらの会のHPには、いじめに関するお話などが出ています。

学校や日常生活での困り感をよくよく観ていったら、実は発達障害が隠れていたりすることもあるし、家庭での虐待、この時代ですから貧困、などなどがあることもあると言われています。特別な支援を必要としている子どもに対し、大人は、子どもたちの困り感をどう解決して、子どもたちの教育を受ける権利を保障していったらよいのでしょうか。