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不登校の子のポジティブなイメージを探し集めていた昔

私、今振り返ると、世の中の不登校に対するネガティブなイメージを振り払いたくて、ポジティブなイメージを探していた時期があったなあと思います。そのイメージの一つが、「考える子」でした。2003年の夏、芸術の森美術館で「レームブルック展」があり、最終日に観にいきました。そこで、「考える少女」の像を見て、これだわ!と思いました。


不登校する子の中に、考えている子が大勢いるんじゃないか、とか、中学生くらいならまだ表現力が追いつかず、もどかしいだろうなとか、学校に行けなくなっちゃったけど、時間はたっぷりだな、とか、そんなことを思っていました。『考えることで樂になろう』―タイトルこれで正しいか、ちょっと記憶が怪しいですが、今度調べておきますーや、『14歳からの哲学』を子どもや私が読んでいたのも、この頃でした。


「つどい」で、「学校に行かなかった間、とにかく考えることをした」と語っていた若い人がいました。

うちにも、中学時代後半は結果的にたっぷり時間を得た子がおり、当時随分と考えることをしていました。今も昔も、考えることが好きだったんですよね。私は、よくこの子が考えたことを聞いてはついつい余計なことを言い、この子から「おかんのトークはもういい」(爆)とか、「そんなありきたりのことじゃなくて、自分が思ってもみなかったことを言って欲しい、聞いたことがないようなことを聞きたい」だの、言われてましたっけ。


他には、ポジティブなイメージをミスチルの「Any」の歌詞に見出したり、あるいはある相談者の「不登校する子は、幾重にも脱皮していく」などの言葉に見出していました。続きは、また後日に・・・。