鳥3

鳥4

鳥2

鳥1

学習会から その4

どこからがADHDで、どこからが健康なのか?という話。じゃあ、なんなんだ、と益々発達障害ってわからなくなるわけ。

障害とは何かということを整理しておくことが大事になってくる。


ICF(WHO世界保健機構で出している障害の考え方)国際生活機能分類。障害って何ということを概念整理している。最新の考え方だが、賛否両論ある。

変調や疾病で何かが体や精神に起こるというのが、健康状態。それだけでは障害とは言わない。その結果、心身機能や構造に影響が出る。例えば、うつなら脳内ホルモンのバランスが崩れるというのが、健康状態にあたる。その結果、心身機能・構造で抑うつ状態が強くなる。そうすると、活動が制約され、社会的参加ができない状態になる。こういうマイナス面を捉えて、心身機能構造に好ましくない変化が起きてしまい、活動に好ましくない変化が起きてしまい、その結果社会的参加に好ましくない変化が起きてしまうというものをを障害と呼ぼう、とICFは規定している。

発達障害の場合、たとえばさっきの御主人の例で、アスぺっぽい夫がいたとする。生まれながらにして健康状態はアスぺっぽい。心身機能・構造は、独特だとする。でも、それなりに活動している、社会的参加もしている。ツマにしか彼の独特な行動様式は見えないけど、会社にも行っている、飲み会にも参加しているとなると、厳密にいうと、活動や参加が障害されていないという考え方をするわけ。なので、障害者ではないという考え方になっていく。


もうひとつICFの面白い点は、体や脳の健康状態という要因だけではなくて、心身機能構造とか、参加できるかどうか、社会的活動に参加できるかできないかは、環境因子と個人因子にものすごく影響を受けるという考え方だということ。つまり、脳に異状があるから発達障害です、という論理にはならないということ。脳にちょっと独特な特性がある。でも、環境要因、そういう本人の独特なところを上手く伸ばしていったり、独特なことを想定して、人間的な成長を促してくれもらえるような環境にずっといた、だから本人も気持ちがゆがまないで、すくすく育った、となると、発達障害者にはならない。ここが日本の考え方となかなか馴染まないところで。白か黒か、みたいなところで、すごく難しい。一言で言えば、本人も回りも何も困っていなければ、障害というレッテルを張る必要はないということ。

もう一つ考えたいことは、スペクトラムということ。障害かそうじゃないかに、境界はないということ。


これは、また後日書きます。