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本の話

一番初めに我が家の子どもの不登校という出来事に出会ったのは、もうかれこれ十数年も前のことになってしまいました。

当時相談に乗っていただいた方に言われたことの一つに、大切なことは、なんとか学校へ行かそうとすることではなく、子どもを理解することだ、という助言がありました。この助言は、その後ずっと私の中の芯や軸のようなものになったと、思っています。

もっとも、自分とは別の人である子どもを完全に理解するなんて出来っこないんですから、理解するというのは、イコール理解しようとするということなのだろうと、今では思っているんですけどね。

それまでは、学校に行くのか行かないのかのみにあまりに着目し、私は意識をそこばかりに集中していたと思います。でも、それでは、家庭の中に緊張感がみなぎっちゃいますものね。様々な、でもまだ子どもですから言葉には出来ない理由があって、学校に行きたくないのだ、だけど、学校には行かねばならない、でも行きたくないし、行けないし、もう、にっちもさっちもいかない、どうしよう、と子どもは思っていたと思います。そして、緊張すればするほど、益々行けない、というわけ。行けないことに罪悪感を感じ、ある時子どもが発した「私はでき損ないだよね」という言葉を、今でも覚えています。

親子で、でき損ない、と思ってしまっては、無力感の悪循環に陥ってしまいそう。その頃は、そう意識していたわけではないけれど、そうならないために、きっと多くの親たちがそうであるように、私も本を読んで、そこから慰めや力を得ようとしていたと思います。まだ、親の会もなかったですしね。ただ、読書会に参加していたことが、力になっていました。

読書会で読んでいたのとは別に、河合隼雄さんの本を読んで、児童文学者こそ子どもの心の機微をわかっているのかもと知り、河合さんの本で紹介されていた児童文学を何冊か読みました。私は元々本を読むのが好きでしたから、息抜きと楽しみにもなりましたし。


カニグズバーグの『クローディアの秘密』の主人公の女の子が、アウトドア派じゃなくて、泊るならホテル、家出先は、メトロポリタン美術館!なんていうのを読んで、子どもは風の子なのだから、外で遊ぶハズ、とか、キャンプが好きなハズ、という思い込みに自分がはまっていたと気づいたりしたのも、この頃です。それまで、子どもはこうあるべき、という考え方をしていたんですよね。