鳥3

鳥4

鳥2

鳥1

「考える子」たちはあれから数年がたって

今晩は。いきなりちょっと長いのですが、昨年の日記を引用しますね。

2009年10月30日(金) 00:32
不登校の子のポジティブなイメージを探し集めていた昔
私、今振り返ると、世の中の不登校に対するネガティブなイメージを振り払いたくて、ポジティブなイメージを探していた時期があったなあと思います。そのイメージの一つが、「考える子」でした。2003年の夏、芸術の森美術館で「レームブルック展」があり、最終日に観にいきました。そこで、「考える少女」の像を見て、これだわ!と思いました。


不登校する子の中に、考えている子が大勢いるんじゃないか、とか、中学生くらいならまだ表現力が追いつかず、もどかしいだろうなとか、学校に行けなくなっちゃったけど、時間はたっぷりだな、とか、そんなことを思っていました。『考えることで樂になろう』―タイトルこれで正しいか、ちょっと記憶が怪しいですが、今度調べておきますーや、『14歳からの哲学』を子どもや私が読んでいたのも、この頃でした。


「つどい」で、「学校に行かなかった間、とにかく考えることをした」と語っていた若い人がいました。

うちにも、中学時代後半は結果的にたっぷり時間を得た子がおり、当時随分と考えることをしていました。今も昔も、考えることが好きだったんですよね。私は、よくこの子が考えたことを聞いてはついつい余計なことを言い、この子から「おかんのトークはもういい」(爆)とか、「そんなありきたりのことじゃなくて、自分が思ってもみなかったことを言って欲しい、聞いたことがないようなことを聞きたい」だの、言われてましたっけ。


他には、ポジティブなイメージをミスチルの「Any」の歌詞に見出したり、あるいはある相談者の「不登校する子は、幾重にも脱皮していく」などの言葉に見出していました。続きは、また後日に・・・。






さて、当時私は、不登校する子の中には、とてもよく考える子たちが大勢いるのではないか、と思っていました(今も思っています)。うちの子の他に、何人か当時細々とお付き合いのある子たちがいて、その子たちのことも、いつも「なんて深く物事を考えているんだろう」と感心していたものでした。あれから数年の年月がたち、たまたま機会があって再会して感じたことは、その後皆決して考えてばかりいたわけじゃなかった、色々行動もしていたんだね、ということです。

そして、子どもたちには、いつも「どうしても行けないのだったら(あるいはどうしても行きたくないのなら、とか)、今は学校へ行っていなくても、大丈夫よ!」と、次に彼らが動き出すまで支えてくれるおかあさんたち(私の友人でもあります)がいたんだなあと、改めて思いました。

また、支えるとは、否定的に悲観的に待っていたのではなくて(もちろん、最初はどのおかあさんも、もちろん私も、困惑し不安になり悲観的になっていたと思います)、「子どもにオーケーを出しながら、子どもの今を認めながら応援しながら」動き出すのを待っていたのではないでしょうか。

自分の「今」を認めてもらうことって、大人だってなんだかほっとして、力が湧いてくる気がします。精一杯の「今」を認めてもらうと、次へ進んでいけるのではないかなあって思うんですよね。

また、うちの子が言ってることですが、子どもの側からすると、その時の自分の状態に応じて、ハードルを上げ下げできるようになるといいのだけど、10代ではそれはやはり難しく、だから辛いよねと
。色々経験して20代になって、今はハードルを上げ下げできるようになったから、十代に比べて楽だよと言っていました。こ、れができるようになると自分で自分にオーケーも出せる。何かができなくたって、自分を認めることができる。でも、中高生くらいの年齢では、ハードルを下げるのが難しいから、学校へ行っていない自分を責めもする。だから、そんな時は、まずは周囲の大人がオーケーを出してあげることが、求められるのではないでしょうか。しろうと考えですけどね。