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子どもの気持に寄り添って

小学校高学年の頃に子どもが学校へ行けなくなった時のこと。不登校相談の窓口は教頭だったのでしょう、すぐに教頭先生と話すことになりました。この方と、この方が紹介して下さった小児科のドクターとの出会いは、私にとっても子どもにとっても、本当に幸いな出会いでした。この時の幸運を自分たちだけのものにしていていいのか、という思いがずっと私の心にあり、それが、今も親の会や、訪問型フリースクール漂流教室に関わっている動機となっている気がします。

当時文部省が、不登校はどの子にも起きると発表して間もなくでしたが、そのことを教頭先生は知っていて、子どもの様子も見聞きした上で、私や子どもを問題視するのではなく、私に「人生は80年だから、あせらずに」とか、「元気になるまで1年はかかると思ってください」、「薄皮をはぐように行きましょう」「○ちゃんの心の澱みたいなものが吐き出されるまで」といったようなことを言われました。澱というのは、実は当時、子どものクラスはちょっと荒れていて、子どもはストレスも溜まったのかもしれません。


ドクターは、学校に行かないこと自体は病気ではないのだから、これは医療ではありませんと言われました。医師としてではなく、子どもと話をするただのおじさんとして接すると言われたのです(なんと贅沢だったことでしょう、普通はあり得ないのでは・・・)。初回の時、「○ちゃんは今ちょっと心が弱っているのだから、3学期は休もう」と子どもに言ってくれました。おじさんとは言っても、ドクターです。ドクターのお墨付きで、子どもは学校を休むことになりました。家では本当に食欲がなくて心配だったのですが、今や大義名分がある。病院からの帰り、外で食事をした時、旺盛に食べる姿に、私は、子どもが安心したのだなあと思ったものでした。

新学期になるとクラス替えもあるし、行けるにちがいないと期待していた私に、大人は新学期になったら子どもは学校へ行くのではないかと思うけれど、子どもにとっては、期日が来たから行けるというものではありません、と言われました。そして、それはその通りだったのです。


やはり、子どものペースというものがあるのだと知りました。学校というところは、なんとかして行かせようとする所ではない、とドクターは私に言いました。子どもは、行きたくなったら、行け行け言わなくても行く、と。ストレスでずぶれてしまった心の回復を待ち、家で心身ともにゆったりとしているうちに(紆余曲折を経てですが)、そのうち「退屈」して来て。そうなったら、次どうするか、葛藤しながら子どもなりに、なんとかしようとしていたと思います。教頭が、10歳には10歳の子どもなりになんとかしようとする、という意味のことを言っておられたことも、私の心に今も残っています。

確かに休めば休むほど、学校の敷居は高くなるかもしれない。その時には、「登校刺激」というより、細やかな支援が求められるのではないでしょうか。順番が逆、ということかも。まず、子どもの「行きたい、行ってみようかな」という気持があって、機が熟したところで、周囲がその子に必要な支援をしてあげたらよいのではないでしょうか。

たまたまうちの子の場合学校へ戻ったので、学校の話を書いていますが、これは、フリースクールでも同様ですよね。行きたいという子どもの気持がまずあって、だと思います。


中途半端ですが、長くなったので、今日はここまで・・・