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子どもの気持ち

毎年この時期になると、不登校しているけれど、小学校や中学校の卒業式をどうするか、という話題が出ます。

まず大事なことは、卒業式に出ないと卒業できないとか、不登校なので卒業出来ない、ということは現在ではありません。

でも、卒業を認めるかどうかは、校長先生の裁量なんですよね。で、今でもそうだと思うのですが、随分昔のうちの子の時の経験では、卒業を認定するかどうかの会議があるということを担任の先生から伝えられました。でも、厭な感じの伝えられ方ではなかったです。つまり、卒業出来ないかもしれないといった不安を感じさせる言い方ではなくて、もちろん不登校でも卒業できる、ただ、一応会議にかけることになっているので。親御さんも本人も卒業を希望するのか、確認しないとならないの尋ねるのだ、といったニュアンスだったと記憶しています。思いやりのある対応を受けると、こちらの心も穏やかでいられますから、内心「義務教育では、卒業は当たり前」と知ってはいても、「卒業はもちろんしたいので、よろしくお願いします」と頭を下げました。子どものためですから、下手に出ることも、時には必要。私は、そう考えるタイプなんです。でも、もちろん、子どもの不登校のことで、親と学校の関係がぎくしゃくする例はきっと、たくさんあるでしょうから、学校とのやり取りで厭な思いをされて来た親御さんたちにも、私と同じようにして、とは言えませんが。

長年アーベルの会で聴いていると、一口に不登校と言っても、様々で、少なくとも、子どもたちの学校への思いは大きく分けて二つあるなあと思います。一つは、いじめを受けたり、周囲にいじめがあったり、あるいはクラスの荒れなどから学校で厭な思いをたくさんして、もう学校に籍すら置いていたくないという思いや嫌悪感。もう一つは、行きたかったんだけど、どうしても行けなかったんだ・・・という思い。

セレモニーや行事についても、皆が一様に思っているわけじゃないですよね。うちの子など、不登校していても行事だけは出たくて出るという子だったけど、五月雨登校しながら行事は苦手という子も、もちろんいる。それから、中学入学以来、ほとんど休んでいる、という子たちもたくさんいるでしょう。


さて、親御さんや先生に、「子どもに卒業式だけは出て欲しい」という願いがあるのは、わからないではないけれど、ほとんど登校できなかった子どもたちにとって、あるいは行事が特に苦手な子たちにとって、それはどうなのでしょう?アーベルで聴いてきた話を思い出すと、卒業式は出なかったという子が、何人もいました、というか多数派だったと思います。アルバムの写真も、載せたくないという子たちが何人もいたと思います。でも、卒業式に出なくたって、その子たちはその後高校や大学へ進学し、社会人になっているのを見ると、不登校で卒業式にも出たくなかった、出なかった、ということは、全然問題じゃない。もちろん、担任の先生にとっては、がっかりなことかもしれないけれど、数年後にその子が素敵な大人になっていることを想像していただければと思います。


そうそう、論文の関係で、アーベルの例会に参加して来た院生さんが、卒業式について素敵な提案をしてくれたので、御紹介します。卒業式に出なくても出られなくても、卒業のお祝いを、おかあさんに―もちろんお父にも―祝ってもらったら、子どもは嬉しいんじゃないかというのです。彼女は、「子どもは、親にゆるしてもらいたいんですよ」と言っていました。彼女は、子どもの気持ちのがわかる人だなと感心しました。



学校に行かない自分は肩身が狭いと、子どもは思っているってことですよね。だけど、どうしても行けない、出来ない時は、親にそれを認めて欲しいんですよ。人間、どうしても出来ないことをやれと言われることほど辛いことはないんですよ、と私も新米不登校ママの時に、助言されました。とにかく、今の状態の子どもを丸ごと許して、認めて、ってこと。その方が、というかそれだけが、子どもが自分にオーケーを出せるようになる支援じゃないでしょうか。オーケーを出してもらうことで楽になると、そのことが必ず力になり、次へ進んで行く子どもたちを何人も見てきて、そう思うんですよね。