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学習会から その5

うちの子が昨日遊びに来て、「おかん、今回がんばってるじゃない」と。確かに今回は私けっこうがんばって書いています。なんでかとういと、今までよくわからなかったスペクトラムということが、やっとわかってきた―ような―気がするから。学んだことを忘れたくないから。頭に入れておきたいから。これはね、講演とかって、ただテ―プを聞いただけじゃ、私は頭にあんまり入らないんですよね。講演をライブで聞けば、メモもするし、多少は残りますよ。だけど、録音はねえ、これ、けっこう頭に残らないのよね。臨場感の違いでしょうか。そのうえ、内容に関係なく眠くなったりする。

ところが、さしつかえそうな部分そうでない部分を判断しながら、テープライトに近いことをしていると、頭が冴えて、けっこう記憶に残るんですよ。だから、がんばって書いているけど、それは基本的には自分のため。だけど、自分のためだけなら、モチべ―ショんが続かないわけで、どうせなら、公開できる部分は公開しようと思いました。個人情報に関係ない部分、そして講師の方の迷惑にならない範囲を判断しながら、書いています。


お話の続きです。今回の学習会、ここからが肝です。



スペクトラム=障害かどうかに境界はない。

アメリカの話。発達障害と診断ついている子もいない子も皆一様に、専門家が対人関係の反応さろ???(正しく聞きとれず、専門用語かな)というのをとったら、連続線上だったそうだ。どういういことかとい言うと、もし、白か黒か、発達障害の子は突然変異そうでない子はノーマルとなるのだったら、、得点は山の分布になるはず、統計学上は。例えば、がんがあるかないか、在る無し論でいくのだったら、こういう得点分布というのが、がんの人の得点平均、健康な人の得点平均というふうに二つの山があって、だから点数をここで区切れば、、障害があるかないかわかるよというカットオフポイントを作れるということになるが、アメリカの研究で示唆しているのは、自閉症かどうかというのが、白か黒かつけられるものではなくて、すごく連続線上で、ちょっぴり自閉っぽい子からめちゃめちゃ自閉っぽい子から、全く感じない子から、それらが連続しているということが、この研究でわかった。

そうすると、ますます白か黒かに意味つけることに何があるんだってこと。一言でいうと、なんの意味もない。だって、皆連続しているので。しかも目が見えないとか足が不自由とかいう、周りから目に見える障害じゃないので、本人が自分の苦手さを受け入れて、本人がこのサポートを使いたいなあ」思わないと、全く発達障害と診断をつけることには意味がないことになる。